- 2003-11-26 (水)
- カテゴリ:ちょっと一言

別れというものは,慣れることがありません。
いくら頭で解っているつもりでも,悲しいものは悲しいですよね。
2年前にインドネシアで出会った人物と去年パリで再び会った時は,その人の輪郭だけが切り取られて地球の裏側まで運び込まれたかのような,とても不思議な感じがしました。
人物の背景や周囲の雰囲気が以前目にしていた時のものと全く異質なものであるがため視覚に微妙なズレがあるように思えるのです。
そしてその人物は今月の18日に私が9年間過ごしたこの町の景色の中へと足を踏み入れました。
普段立ち寄るコンビニや毎日夕食を摂るダイニングには今日まで,その人だけが私の視界に馴染めないまま鮮やかにくっきりと,動いたり喋ったりし続けていたのでした。
旅をして痛感したことは,旅とは別れの連続であるということ。
日常からの脱却というだけではなく,旅とは,様々なところを巡り歩くことを意味しているとしたら,それは人生と同義だと言えるでしょう。
それはつまり,人生とは別れであるということ。
こんなことは敢えて誰も口にしませんし,日常生活において経験する数多くの別れに一々反応していては身がもちませんが,元来別れとはとても純粋な悲しみを引き起こす出来事であると思います。
別れとは隔絶であり,ある人物と一緒に居た頃には共有できていた様々なものを一度に失います。
代表的な別れと言えば,不可逆性に依る確実な別れをもたらす死でしょうか。
殺人を犯してはいけないことが法律に定められているのも,死に至った周囲の人間が悲しむからですよね?
話はそれましたが,二人は本日京都へ発ちまして,その後中国からインドへと5ヶ月の日程を残しているそうで,道中の無事を祈るばかりです。
今はしばしの別れを。
- カテゴリ:ちょっと一言

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