- 2004-02-19 (木)
- カテゴリ:コラム「日々想う」

電車を降りて乗り継ぐために階段へ向かう。
多少なり酒をあおったので冴えている私の目には人々が騒々しいほど鮮やかに映る。
言うまでもなく,午前零時過ぎの山手線渋谷駅のホームには大勢の人が行き交う。
時代遅れの千鳥格子にタータンチェックのマフラーを合わせた者
赤いニット帽にサングラスというどうにも目立って仕方のない者
ひときわ目をひく明るい茶色の毛皮を羽織った者
これら全て,私には到底理解の出来なくとも各々がそれなりの思惑をもって身につけているのであろう。
又,歯並びの良い口をゆるめ携帯電話を耳ににやついている者
電車がホームに到着し,人通りを急激に増したその階段にうずくまっている者
終電近しと改札を小走りに抜ける者
これらも,私が約5時間の睡眠の後に図らずも選択することとなった筋肉を酷使するアルバイトに赴くために家路を急ぐのと同様に,各々の目的を持って行動しているのであろう。
なにも考えずにただ歩いているだけだと見受けられる者も,
その実天地を揺るがすような大思想に到達している瞬間にあり,いち早く書き記すべくメモ帳を買い求めるために歩いているのかもしれないし,
本当になにも考えずただ歩いているだけであったとしても,2本の足で歩いている限りは,然るべきタイミングで次の一歩を踏み出すことを当面の目標にしていることは確かである。
驚くべきは
私が生まれてから死ぬまでにすれ違う人の全てが
人間である以上抜け出せぬ同じ法則の下に思考する自我を備えていること
これがにわかには信じられなくとも想像に易しいと結論付けることが妥当だということであり
同時に私自身もその一部であるということだ。
水が液体であり続けられる温度を保つことのできるこの惑星上で
自分と同じ種族にあって同程度の知能と体格を備えた生物が数多く存在しているらしいことを実感できるこのひと時は
私が人間としての自負を抱き自信をもって生きてゆくことを決心させるには不十分であっても
ある種の独特な連帯感を発祥させることには成功している。
生命はその原因や理由を自足するためにその意味を持たない,というのが私の持論だが
直面している何かをこなす事が目的となり得るだろうと最近は思えてきた。
今の次の段階,そしてまたその次の段階,と,一つずつ想像しながらそこへ辿り着こうと努力することが人間の本意なのかもしれない。
私で言えば,現時点で想像する限りでは,家に帰ることが目標であり,次は眠ることであり,その次は明朝6時に起きることであり,バイトに行くことであり,春には帰国して学校へ通うことであり,卒業することであり,就職することであり,やがて死の訪れるまであがき続けることであろうし,途中でなにか別の「次の段階」が見つかればそこへ向き直してまた歩み始めるのだろう。
こうして次へ次へと,やがて対峙するかもしれないがその時点では想像さえすることのできない新たな目標へと,探りながら進むことが生きる目的なのであり,吟味を重ねればそこに意味を見出すことも不可能ではないかもしれない。
昔,50年かけて60億人の人間と対話する際に一人当たりに費やせる時間を計算したところ
一秒の三分の一にも満たないことがわかり愕然とした。
人を理解する上では実際にその人物とじっくり話をすることが大切だし,
たとえ戦争状態にある2国間の人間同士であっても個人レベルで仲良くなったり解り合ったりすることは
きちんとした順を踏めば簡単なはずなのだ。
私は人間の不完全さや,各個体の余りのちっぽけさに大きな嫌悪を抱くが
その感情や環境(生得的な環境ではない)に由来する複雑さや美しさには非常な魅力を感じる。
私は出来る限り多くの人間と出会い話をしたい。
だから旅をする。
んだきっと・・・。
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